競業避止義務は十中八九ハッタリ!?TSMCに学ぶ有効な競業避止の設定方法

従業員が辞めたら、すぐ競合他社へ転職したり、自ら会社を興して全く同じ事業を行ったりして、自社の売上を真正面から奪う、という「恩を仇で返す」行為を防ごうと、従業員と競業避止契約を締結する会社さんが少なくありません。

また、従業員から退職の申し出があった際に、競業避止契約への署名を指示しても、

元社員の癪君

「あれに署名する義務は労基法に書いてないから、やなこった!」

等、癪に障るような発言を吐かせないよう、退職時ではなく、入社時に競業避止契約を従業員に突き付けることが常識化になりつつあります。

一方、台湾の労働法に関する情報が非常に分かりやすい形で解説してくれるウェブサイトはいとも簡単にたどり着く世の中なので、自分がサインした競業避止契約とはどういった位置づけのものなのか、それに違反したら、本当に数百万NTDの違約金を支払わなければならないのか、といった素朴な質問への回答を探す労働者たちは、ネットから安心が得られる調査結果を手に入れた後、「なるほど、ハッタリだね!」と確信。転職を考えるとき、競業避止義務を考慮に入れる必要はない、今の会社は違約金を強要できる法的根拠を持っていないから、と高をくくっている傾向があるようです。

なぜ会社が従業員と締結する競業避止契約は、法律上大体無効と見なされるのでしょうか。台湾の労働法においては、従業員に課す競業避止義務を法的に有効にする手立ては用意されないものなのでしょうか。

上記問いかけへの回答とともに、台湾における競業避止義務についての考え方は果たしてどういったものだろうかを徹底的に検証していこうと、2022年になってようやく最高裁で確定した、競業避止義務の違反にまつわるTSMCとその元社員の間で繰り広げられた訴訟の応酬を以下紹介させていただきます!

事件のあらすじ

1999年TSMCに入社したS氏は、2004年から同社の購買担当となり、実績があったことなどから、2011年に購買マネージャーに抜擢されました。

管理職は社内の重要情報にアクセスする頻度が高いので、TSMCは管理職社員に対しては競業避止契約の締結を義務付けしています。そのため、S氏は2012年にTSMCとの競業避止契約にサインしました。

天下のTSMCの購買マネージャーとなったS氏は心のネジでも緩んだのか、2015年に仕入先から不正な接待を受けたことをTSMCに知られ、贈収賄の禁止に関する社内規程に違反したことで、自主退職を勧められました。

これからTSMCでの昇進はもう望めないと考えたS氏は、2016年5月に誓約書に署名し、自主退職との形でTSMCでのキャリアに終止符を打って、退職に関するリマインドレターを渡された後、特別ボーナスと競業避止義務を守る代償として、同年7月にTSMCから229万NTDの支払いを受けました。

S氏が退職した翌年の2017年4月、支払われた競業避止の代償が機能しているかを確認しようと、TSMCはS氏に事実確認のメールを発送しました。それを受けたS氏は、TSMCから退職した2016年の12月に、TSMCの競合に該当しない中国のC社に入り、肩書が購買副総裁ですよ、という風な返信を行いました。

同年7月6日、TSMCはS氏に弁護士名義の内容証明郵便を送付し、15日以内にC社から退職せよ!と要求しましたが、なしのつぶてのため、約2週間後に同内容証明を電子メールでS氏に送信しました。

ようやくS氏からの返事があったかと思いきや、退職時にTSMCから渡されたリマインドレターに、C社は競合他社として記載されていなかったのみならず、競業避止の代償として支払われた金額も法律的には少なすぎる!との内容が返ってきました。

TSMCは、S氏への最終通告として、約1週間後に再度内容証明郵便を送りつけましたが、返答がなかったため、S氏を提訴することに踏み切りました。

S氏のカウンターアタック

訴えられたら仕方がないと考えるS氏は、TSMCから売られた喧嘩に対抗せよ!と弁護士に依頼することにしました。

S氏の代理人として出廷した弁護士は、TSMCの訴えに対して、以下のように抗弁しました。

S氏の主張

  • S氏は、購買副総裁としてC社へ入社できたのは、購買の業務に長らく従事していたことで培ったノウハウと経験によるもので、こういったものはTSMCの財産ではない。なおかつ、購買担当としてアクセスできる資料や情報はTSMCにとって決して重要な企業秘密ではないため、それぐらいの社内資料や情報を守ろうと、台湾の憲法に付与されるS氏の転職の自由に制限をかけることはおかしい。
  • 製品の価格や規格等は短期間で変動する可能性が高く、それに合わせて会社の購買方針も毎月ないし四半期ごとに替えなければならない。従って、購買担当の人間に18ヶ月という通常では考えにくい長い競業避止期間を定めるのは合理性が欠け、労基法施行細則第7-2条第1号の定めに反するのではと。
  • TSMCが定めた競業避止義務には、禁止対象とされる地域が明記されていないのみならず、転職先として「現時点及び将来におけるファンドリー事業を行う事業者」を全てNGにするなど、ほとんど無制限的にS氏の転職活動に足枷を嵌めている。競業避止義務を課すなら、転職禁止の範囲をもっと明確にすべきだ!だからTSMCが労基法施行細則第7-2条第4号の定めに反することが明らか。
  • 退職時にTSMCから支払を受けた229万NTDは、全額S氏が受領すべき2015年度の特別ボーナスであり、競業避止義務を守る代償は一切支払われていなかった
  • S氏はTSMCからの連絡を受け、すぐに中国のC社に転職したことを書面による回答を行ったにもかかわらず、TSMCは当該書面を受け取って1ヵ月あまりが経った後になってからS氏に内容証明を送り、競業避止義務に反したと通知。もしS氏に競業避止義務の違反行為があったなら、何故もっと早く内容証明を送付しない?1ヶ月半の間に一切アクションも取っていないというのは、その当時S氏に違約行為があったとは認められなかったことを物語っているのではと。
  • S氏が転職したC社は半導体産業に属する企業だが、ファウンドリー事業を従事していないため、TSMCの競合に該当しない。なお、C社の子会社はファウンドリー事業に従事しているが、売上はTSMCの1%にも達しておらず、規模感が全く異なるから、競合として成り立っていない。
  • S氏がC社に転職したことで、具体的にTSMCにどれぐらい損害をもたらしたかの証明がなされていないにもかかわらず、給与24ヶ月分の違約金が請求されている。S氏の経済的事情を考慮したら、給与24ヶ月分の違約金が明らかに高すぎて、民法第252条に反すると。

勝負の行方

S氏の弁護士がなした怒涛のような答弁を受けた地裁の裁判官は、熟考を経て、以下の見解を述べました。

第一審の見解

  • 優れた購買管理の仕組みは、TSMCがファンドリー業界をリードする地位を獲得する主な要因の一つと考えられる。他社がそれに関する情報を入手したら、同様な購買制度を作り上げ、TSMCの購買計画をある程度予測することも可能となり、そうすると、TSMCが市場における優位性が損なわれる恐れが生じてくる。また、TSMCの購買担当は、同社製品の配合情報を把握できるはずであり、当該情報を競合に提供することで、製品の研究開発に必要とされる時間とコストがだいぶ節約することになる
  • TSMCが出したリマインドレターに記載された競合他社は例示に過ぎず、転職禁止の範囲は、「現時点及び将来におけるファンドリー事業を行う事業者」という風に明記されていた。ファンドリー事業に従事していない会社なら、競業避止義務に違反することなく転職可能となるため、S氏が主張する、転職の自由が全面的に制限されたことは認められない。
  • TSMCは今まで大体5年間の見通しを立てて購買計画を策定してきたから、それを一つの購買方針のライフサイクルと考えたら、18ヶ月間の競業避止契約は決して長すぎるとは言えない。
  • S氏は今までTSMCの購買担当として十数年間の経験を積んできて、転職先であるC社はTSMCの競合に該当するかを判断する能力を十分に持っているはず。C社への転職は競業避止義務の違反につながる可能性に全く察知できないと言ったら、筋が通らない。
  • 退職時にTSMCから支払を受けた229万NTDは、贈収賄の禁止に関する社内規程の違反によって減額された特別ボーナスと競業避止義務を守る代償の合計額であることは、S氏が当初署名した誓約書にも記載されていたが、S氏の答弁書には同誓約書の有効性について一切言及がなかった。従って、229万NTDは全額特別ボーナスだといきなり主張しだしたS氏の言い分は、受け入れがたいものである。
  • 中国の半導体大手、紫光集団が自社のHPにて、S氏は2017年10月13日をもって、当社グループ企業のC社とB社(C社の子会社)との雇用関係を解消する、との通知を載せていた。B社はファンドリー事業を行っており、そしてC社とB社ともに紫光集団と切っても切り離せない関係を有するから、同2社に転職したS氏はTSMCに課された競業避止義務に違反したことが明らか。

法的見解を上記のように展開してきた地裁は、S氏に競業避止義務の違反に当たる転職行為があった、との心証が固まりました。

ただし、TSMCはそれによって何かしらの損失を受けたかは不明だけでなく、株価がむしろ右肩上がりの上昇を続けており、かつS氏がC社での勤続期間は1年未満である、といった点を勘案し、S氏がTSMCに支払う損害賠償金を250万NTDに減らす決定を下しました。(台湾桃園地裁107年度重労訴字第6号判決)

リベンジ・マッチ

退職時にもらったのは229万NTD、支払いを命じられたのは250万NTD。弁護士費用も入れたら大赤字だから、とことん戦っていくしかない!と考えるS氏は、今度は攻撃を繰り出す方となり、高裁に控訴しました。

本件審理を担当する高裁は、以下のように自らの見解を展開しました。

第二審の見解

  • 原材料の調達価格や規格等の情報は、TSMCが時間をかけて仕入先との研究開発を繰り返してきた成果であり、大体1~3年の秘密保持期間が設定されている。また、TSMCは部署ごとに、役職別で秘密保護措置を講じるほか、管理職社員とは競業避止契約を締結している。S氏はTSMC在籍時にアクセスできる購買関連情報は、同社から妥当な保護措置が施されている重要な企業秘密であるため、「S氏が行う購買業務は会社秘密とは無縁だ」との主張は成り立たない。
  • 購買情報に関する守秘義務は1~3年と定められているため、競業避止期間を18カ月に設定することは合理性が認められる。なお、ファンドリーはグローバル的に展開される事業で、TSMCの取引先も全世界に及ぶから、転職先を禁止する地域の指定は難しい。そして、S氏が半導体業界で積んだ経験と知識を普通に働かせば、転職先がTSMCの競合になり得るかを判断できないことはないはず。従って、TSMCから長すぎる競業避止期間、無制限な競業避止地域を要求されたから約定が無効だ!とのS氏の主張は認めがたい。
  •  TSMCがS氏に支払った229万NTDには、減額後の特別ボーナスと競業避止義務の代償が含まれていると、S氏署名入りの誓約書に記載されている。もし同229万NTDは全額S氏が主張した特別ボーナスなら、何故S氏は当初の誓約書にサインしたのか?何故地裁での訴訟が始まってから1年もの間において、S氏はずっと229万NTDの件を争わなかったのか?会社から支給される特別ボーナスは原則として恩恵的給付に該当し、会社にはその額を任意調整できる権限を有しており、ましてやS氏は懲戒処分を受けてボーナスが減らされたのだから、いまさら229万NTDの構成に疑念を抱いても仕方がない。
  • TSMCがS氏に交付した最初のリマインドレターに確かにS氏の転職先であるC社を入れなかったが、1ヶ月後更新したリマインドレターにB社(C社の子会社)及びその関係会社が追加されていた。なお、紫光集団のHPでなされた通知にS氏がC社及びB社に勤めたことが明らかにされたため、B社の規模が小さく、TSMCの地位を揺るがすには至らないとS氏が主張しても、競業避止義務を違反したことに変わりはない。

高裁がなした前述の判断によって、S氏のリベンジ・マッチが徒労で終わりました。

そして、気になる損害賠償金はと言えば、地裁が結論付けた250万NTDにTSMCは不服を示していなかったため、S氏に下された250万NTDの支払い命令はそのままでした。(台湾高裁109年度労上字第52号判決)

S氏

同じS氏というハンドネームを有する者同士だから、「退職合意書があった、試用期間中で実施、それでも不当解雇なのか!?台湾の最高裁が2022年に出した気になる判決とは!」に語られるように、俺だって最高裁で背水の逆転劇を起こせるはずだ!

週一のマサレポを今まで見逃していない(?)こちらのS氏は、依頼してきた弁護士を換え、玉砕覚悟で最高裁に勝機を賭けました。

しかし、第一審、第二審に全てを出し尽くしたS氏は、続く第三審に、「退職合意書があった、試用期間中で実施、それでも不当解雇なのか!?台湾の最高裁が2022年に出した気になる判決とは!」に登場したS氏のようにうまくいかず、ウソのようにボロ負けしました。(最高裁 110 年度台上字第 2040号民事判決)

もしも、別の世界に生まれ変わったら...

競業避止契約に元社員にサインさせた
長すぎない18ヶ月の競業避止期間を定めた
競業避止義務を守ってもらうための金銭的代償を支払った
競合他社を例示し競業避止義務の遵守についてのリマインドレターを作成した
適切な秘密保護措置を講じていた...

以上は、TSMCの勝因となり得る要素と考えられます。

元社員が退職後すぐ競合他社に転職し、自社が丹精を込めて作り上げた企業秘密をもって売上を奪ったりするリスクを徹底的に避けようと、こういった細かい処理を順序よく、お金に糸目をつけず丁寧に行う、さすが天下のTSMCだけあって、こういった訴訟でほとんど負けなしというのも納得がいきましょう。

ただし、S氏がそこまで徹底的に負けてしまうことに全く疑問を感じないわけでもありません。

もしも、相手が台湾の経済をけん引するTSMCでなければ...
もしも、転職先が中国企業でなければ...
もしも、S氏は自分がC社に転職したことを馬鹿正直にTSMCに伝えなければ...
もしも、S氏がTSMCから差し出された誓約書に署名しなければ...
もしも、S氏は第一審からマサヒロ国際法律事務所に頼めば...

後半からの「もしも」は、S氏がどういった行動に出るかを選択する分岐点なので、どちらかと言えば、S氏に責任があると考えられますが、前半の「もしも」については、どうしても「台中関係」、という見え隠れしている要素を連想させられてしまいます。

台湾の企業秘密を、中国をはじめとする海外へ不当に流出させないよう、営業秘密法についての法改正がなされ、懲役刑を最長10年間にすることができるとされました。一方、前述の法改正から近年に至るまで、台湾の企業秘密が海外へ不当に流出された事案は9割以上中国が絡んでいる、という統計データがリリースされました。何とかそれに歯止めをかけようと、台湾と中国の人民関係条例や国家安全法等、中国と関係する法律を強化する方向で法改正が次々と進められています。

もしも、S氏が10年以上購買担当としてキャリアを過ごしたのはTSMCではなく、どこにもある台湾の中小企業であってり、S氏の転職先が中国企業のC社ではなく、ほかの台湾企業であったりする場合は、本件訴訟で全く同じ結果が出るのかという、考えずにはいられませんでした。

ATTENTION!

※本マサレポは2022年9月16日までの法律や司法見解をもとに作成したものであり、ご覧いただくタイミングによって、細かい規定に若干法改正がなされる可能性がございますので、予めご了承くださいませ。気になる点がおありでしたら、直接マサヒロへお問合せいただきますようお勧めいたします。

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